物揚場跡
物揚場跡
それでも当町会として触れずに済ませられないのが住宅の裾を流れる日本橋川の存在です。日本橋川は、当時日比谷が湿地帯であったのを干拓しその排水路として建設されました。それと同時に江戸城の建築資材の運搬にも活用されました。その証としてアパートの前に「物揚場跡」の石碑が置かれています。江戸時代末期の古地図には「かしふねあり」と言った記載までされていました。こうした具合にこの辺りは物資の集積所で空き地であった訳です。その状態は戦後まで続いていました。それと共に川に架かる神田橋は将軍が上野寛永寺に参詣に行くと通り道でもあって警備上の関係からも余分な建造物を排除したのではないかと想像されます。