歴史
内神田住宅町会改め「神田橋町会」と改名したのは、平成16年8月のことでした。
その経緯は今までの町会名はあまりにもストレートな感じで町会名としての情緒に乏しいのではとの想いが住民の間で取り沙汰されていました。
そうした折りに千代田区役所の区民総務課の方から町名由来の掲示板の設置の話がありその機会を捉えて住民によるアンケート調査をしたところ多数の賛同を得て神田橋町会と改名することになりました。
神田橋は将軍の上野寛永寺参詣の折りに通過する重要な地点とともに江戸のインフラの整備に伴う土木建築資材の流通の要でもあったのです。また、そこを流れる日本橋川は軍事的にも城を守るための役割を担っていました。
極端に曲げられた流れは船から城への侵入を阻むものです。
町会名を変えるにあたっても、そうした歴史的意義を考察することによって町民の土地に対する愛着も増すのではないかと期待しています。
本当に微力ではありますが、地域住民の方々と協力する意味でも土地柄を表す町会名を名乗った訳です。
此処に来て神田公園地区の中にもマンション・ラッシュとも思える現象が出現しています。
ともすると集合住宅に住む人は住宅内の人々との交流も途絶えがちなのが現状です。
まして近隣の町会などとのコミュニケーションなどは全くと言っていい程、関心を示さないでしょう。
集合住宅と云えども地域に貢献できる規範を築いて行きたいと考えています。
町会の成り立ち。そして展望と課題
内神田住宅からの夜景(高速道路)
昭和58年に住宅の入居がはじまります。そして、61年には住民による自治会が結成されます。その時期、問題になったのが住民がどの町会に帰属するかが取り沙汰されました。そこで自治会は近隣の町会とさらに千代田区を加えて相談の結果、平成5年10月1日に正式に内神田住宅町会として発足することになりました。
街の再開発に伴い千代田区は如何しても集合住宅化は避けられないことでしょう。従来の街並みに単数で引越しする人はやがてその町に溶け込み馴染むことが出来るでしょうが、集合住宅は、突然、ビルが建ち大挙して異質の人々が住む様になるのですから、それだけで従来の町の戸惑いや反発があることは予想されます。それでも区営住宅の場合は原則、千代田区の住民ですから問題も少なからず軽減されています。しかし、民間のマンションとなるとそう簡単にことは運びません。コミュニティーの再構築の論議が問われそうです。次回からはシリーズとして、その問題を記載することにします。